ぼくが“排除アート”という言葉を初めて聞いたのは、たしか去年からおととしぐらいだったと思う。

 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/排除アート

 くわしくはWikipediaを読めばだいたいわかると思うが、ようはある特定の人々を遠ざけるために街中に設置される構造物のことだ。たいていの場合、微妙に使い勝手のよろしくないベンチや、よくわからないオブジェの形態をとることが多い。
 排除アートはいまや当たり前のように世間に溢れているが、とくに“寝そべることができないベンチ”は主流のスタイルだ。そこで寝泊まりすることを拒んでおるわけですな。


 この排除アートが近年にわかに注目を集めている。とくに、2020年のオリンピックに向けて都市部で再開発が進むなかで存在感を増していき、インターネットを中心に論争を巻き起こした。


「けしからん」「人の心がない」「不快だ」
「やむを得ない」「気持ちはわかる」「治安維持のためには必要」

・・・・・・。


 多くの人たちが、思い思いの主張をぶつけ合っている。しかし、実際に排除ベンチで夜を明かしてみた、という人は見たことがない。
 
 見た目の印象だけで物事を語るのはよろしくないと思うのである。人に対しても、モノに対しても。やはりここは、実際にその寝心地、排除っぷりを身体で感じてみたい。
 
 排除アートによって排除される人たちの目線に、少しでも近づいてみたい。



青山の排除ベンチをさがして

 と、いうわけで。

 決意を固めたぼくは、さっそく排除アートを探し求めて街へと繰り出した。


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(写真はhttps://withnews.jp/article/f0210712003qq000000000000000W02c10101qq000023308Aより引用。五十嵐太郎さん撮影)

 まず最初のターゲットはコイツだ。“排除アート”でネット検索したとき2番目にヒットするサイトのド頭に載ってるぐらいだし、やっぱり排除アートの代表選手と見做してよいだろう。


 ・・・・・・そう決めたまではよかったが、このベンチについてどれだけネットで調べても「青山にある」「地下鉄の駅を出てすぐ」という以上の情報が見つからず、それらしい駅の周りをしらみ潰しに探していたら捜索に1時間ぐらいかかってしまった。


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結局、例のベンチは表参道にあった。
 
 ようやく見つけたときは、思わず「あ、あった!」と声が出てしまった。時刻は夜の8時前。
サイトの写真と比べると、なにやら銀色のパーツが追加されているものの同じものに間違いない。

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さっそく座ってみる。

 まわりに人がいなくなるのを待って撮影開始。今回のためだけにダイソーで三脚を買った。

 座り心地は、まあ普通というか、とくにコメントすることはない。座面が平らじゃないのでイマイチ落ち着かないぐらいだ。

 さて、前置きはこのへんにして・・・・・・

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さ、寝ますか。


 ホントにここで一晩寝るのはさすがにキビシいので、少し横になるぐらいにとどめておく。(「野宿してみた」記事はまたの機会に・・・・・・)
 
 やはりいくらかの排除は感じるものの、どうにか横になれないことはない。ただ、リング状の作りのせいで寝相は限定される。


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いくつかの体勢を試す。
 
 やはり、あとから追加された銀色のリングが体に食い込んでちょっと痛い。これがなかったらもうちょいマシだと思うんだがなー。最小限の工夫で効果をあげる、まさに日本の心が形になったような排除アートだ。


・座り心地 ★★☆☆☆
・寝心地  ★★☆☆☆
・デザイン ★★★☆☆

いちおう「アート」を謳っているので、見た目も評価しとく。


 さて、まだまだこんなもんじゃ俺は満足しないぜ。


排除アートの総本山へ


 いきおいそのまま、今度は渋谷へGO。


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ミヤシタパークです。


 かつて公園があった場所に作られた大型商業施設。その誕生の経緯からしてかなり排除アート的(参考:https://withnews.jp/article/f0210709003qq000000000000000W08u10101qq000023304A)であるこの地には、なんでもかなりの数の排除アートがひしめいているらしい。が、今回は公園として使われている屋上部分に狙いをしぼることにした。



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 屋上へ登ってみると、ウェイウェイしい若者たちが談笑したりスケボーしたりしていて、けっこう賑わっている。が、そんなことはどうでもいい。ベンチだベンチ。


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人が多いので、空いているベンチを探すのにも一苦労。 


 これもまたよく見かける、鉄棒タイプのベンチだ。一見すると高さの違うハードルだが、いちおう座面と背もたれらしい。


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夜中に いきなりさ いつ空いてるのってLINE


 尻が痛い。が、背もたれ(らしきもの)がついてはいるので、その点に関しては青山のドーナツに勝ってはいるかも。知らんけど。


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涅槃スタイル。

 ぼくは割とどんな場所でも横になれるので(塀の上とかでも寝そべってくつろげる)姿勢は安定するが、さすがにレム睡眠は難しそうだ。

・座り心地 ★★☆☆☆
・寝心地  ★☆☆☆☆
・デザイン ★☆☆☆☆



 次はこれ。

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 もう柵じゃん。

 ・・・・・・いや、ベンチだ。これはベンチ、これはベンチ。

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着席。

 なんだか、鉄棒に腰掛けてた小学生のころを思い出す。横にある緑色のやつは三脚の箱だ。つーか、やっぱ椅子じゃないよこれ。


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おっかなびっくり

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バランスをとりつつ・・・・・・

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しがみついた! なんかSASUKEになかったっけ、こんなの。


 https://youtu.be/dD9AGEYuxHs
(↑苦闘のようす)

 鉄の棒は冷たく、周囲の視線もまた冷たい。通りがかった人に「この上で1日生活するやつだ」とか言われたが、さすがにそこまでヒマじゃないよ。
 どうにかこうにか姿勢を保つことはできたが、ここで寝るのは不可能だろう。ちょっとでもウトウトしたら、すぐさま地面に叩きつけられることうけあい。


・座り心地 ★☆☆☆☆
・寝心地  ☆☆☆☆☆
・デザイン ☆☆☆☆☆

 本日最低評価。

 

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ベンチ単体の写真は撮り忘れてた。

 そして、ミヤシタパークでいちばん人気があったのがこのあみあみのベンチ。人気があるというより、マトモなベンチがこれしかないだけな気もする。

 そっと体を預けてみる。と、なるほど。ちょうど身体にフィットする形状になっていて、座り心地は(他がアレなのを差し引いても)なかなか悪くはないじゃないの。

 ・・・・・・しかし、ここでふと冷静になるとこれ、座るのが子供や小柄な体格の人だとどうなんだろうか。気持ちの良いフィット感の向こう側に、パーク側の「ウチの客層はこういう人たち」といううっすらとした選別意識が透けて見えるような気がした。


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おやすみ。

 寝心地もまあまあ悪くはない。やはり座面が平らなだけで全然違うな。そんな当たり前のことがいまはありがたい。

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 けど、仰向けになってみたら骨組みが背中に食い込んでめっちゃ痛い。


・座り心地 ★★★★☆
・寝心地  ★★★☆☆
・デザイン ★★★☆☆


 ここまであれこれ好き勝手に書いてきたが、そもそもミヤシタパークの営業時間は23時までなので、どのみちここで夜を明かすことはできない。


 ミヤシタパークの場合は、利用者がベンチに定着しないようにすることで客の回転率を上げる目的もあるのかもしれない。商業施設としては当然の考えだとも言えるが、いっぽうで仮にも公園としてその姿勢はどうよ、とつい考えてしまう。



「っぱいけすかねえわ」

 ひさびさにミヤシタパークへやってきた感想は、「っぱいけすかねえわ」だった。もともと本屋とおもちゃ屋とレコード屋が入ってない商業施設には興味がない僕だが、このとき胸の内に渦巻いていたモヤモヤ感は、キラキラしたリア充Z世代へのひがみとはまた違う、もっとどんよりしたものだった。


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よそでは見たことがないコスメの自販機。いい感じに居心地の悪さを加速させてくる。

 とぼとぼとした足取りでパークを後にする。まあ、世間はこういうのをありがたがる人や違和感をおぼえない人が多数派なんだろう。そのことについてどうこう言うつもりはない。

 つか、まずはエスカレーターで座ってるにーちゃんとかを排除しろよ。


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渋谷横丁の飲み屋には流しのギター弾きがいた。


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 こんなベンチでも、いまはものすごくユニバーサルなデザインに見えてくる。


街にある排除


 そろそろ帰るか、と思いながら駅へ向かっていたら、交差点のわきにぽつんと佇む彼と目が合った。


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彼。


 以前にも何度か来たことがある場所だったが、彼がそこにいることには気づかなかった。

 いちど排除アートの存在を意識すると、今までは見えていなかった“排除”が見えるようになってくる。


 せっかくだし、ウイニング排除キメときますか。


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 座らねば。


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 寝そべらねば。


 ・・・・・・金属のひんやりした感触が、いまの僕には冬の都会の冷たさそのもののように思えた。


・座り心地 ★★★☆☆
・寝心地  ★★☆☆☆
・デザイン ★★☆☆☆


結論

 実際に寝そべってみてわかった。やはりこれらは、「見た目の良さを優先した結果寝そべるのに向かない形になった」のではなく、ハナから用途を制限する方向でデザインされている。

だって、

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見た目の良さを優先してたらこうはならないんじゃないの?



ながいまとめ(もとい、余談)

 そもそも、なぜ都市には排除ベンチが増えるのか。

 理由はいろいろな言葉で説明できるだろうが、ひとつ大きな要素として、“現代人はせっかちになっている”というのがあると思う。



 ちょっと前に「ファスト教養」という言葉が話題になったが、とにかく今の人たちは結論を急ぎたがる傾向がある。よくわからない、意味が見出せない状態をとにかく避けようとする。そういう“無駄”につきあっている時間はないのだ。

 
 “無駄”を省く方向へと先鋭化した世の中はどうなるかというと、人々から“共感”が失われてゆく。たとえば、路上生活者や生活保護者、元犯罪者、家出少年少女、障害者、などといった人たちに対して、「なぜ彼ら・彼女らはこうなったのか」「普段どんなことを考え、どんな暮らしをしているのか」「もし自分が彼らと同じ立場だったら」・・・・・・なんてことをいちいち考えたところで今すぐに何かが解決するわけではないし、なにより精神的に疲弊する。そんなことに時間をかけるぐらいなら、「あの人たちは〇〇だから、自分たちのような“普通の人”とは違う」とレッテルを貼って社会から切り分けたほうが早いし分かりやすい。幸い、現代社会ではレッテルの種類は充実しているのだ。
 

 ファスト教養的な価値観において“意味のなさ”は最も忌むべき要素であるが、都市における“意味”とはズバリ“経済的な価値”に他ならない。

 路上生活者や子供はお金がないので消費をしない、つまり、経済的な価値を生み出さない。そういう“無駄な人たち”は都市から弾き出される。“無駄な人たち”の巣窟である公園も、さっさとオシャレ商業施設にでもなんでもしてしまえば数億円規模の経済効果がもたらされる。

 都市の人々は、ビルが建っていない場所を空き地と呼び、何もない場所として扱う。本当は何もない場所などないのだが、彼ら彼女らにとっては経済的価値のないものは存在していないのと同じなのだ。だから行政や企業は金のために木を切り倒し、川を埋め立て、更地にしてビルを建てる。

 僕は、そういう消費社会がオススメしてくるコンテンツというものにあまり魅力を感じない。ミヤシタパークのことを「いけすかない」と思うのも、このあたりが関係しているんだと思う。


 “無駄なもの”をどんどん排除していくとどうなるか。
 余白がなくなり、窮屈になっていくのだ。これは都市もそうだし、人生においてもそうだ。

 ベンチで寝られなくて困るのは、なにもそこで寝泊まりする人ばかりではない。出かけているときにたまたま体調を崩したり、疲れて昼寝したくなるときなんてのは誰にでもあるだろう。

 他者に対する不寛容は、まわりまわって全ての人の首を絞める。「老人は集団自決すべきだ」とか主張しているあの人だって、いつかは歳をとるわけだ。




 僕がこんな記事を書いてみたのは、そういうファストな不寛容さに対する反発心があったから、というのもある。たしかに僕がベンチで寝そべってみたところで今すぐ世の中が良くなるわけではないが、それでも、今回の経験はいろいろなことについて考えるきっかけになった。

 やはり人生においては、すぐに答えが出ないことについていちいち考えたり悩んだりする時間が必要なんだと思う。

 
 今後も僕は無駄なことをしつづけるだろうが、どうか周りの人たちは「それ無駄だよ」とわざわざ指摘したりせず、放っておいてほしい。
 そして、もしよかったら、僕といっしょに無駄なことをしてほしい。







(以下、まとめを書くとき参考になった本)